ふなむし大明神の日記

本当にどうでもいい事だけを書きたい。

愛し方が分からない

こんな事を書くのは不本意なのだが、周りに言い難く、また世間的に良くないとされていることであるため、ここに吐き出す事とする。

 

私は愛されたい人間に愛されないタイプの人類である。

 

私の魅力が分からない人間なんてクソ喰らえ、と威勢を張ってなんとか立っているが、梅雨の夜などはやはり寂しさに押しつぶされそうになってしまって「愛される 方法」などと検索してしまう。

もうその時点で本来の愛される力からは遠ざかっている気がするが。

 

検索すると「自らの愛を捧げなければ愛される事は出来ない」と書いてある記事を幾つか見つける、そして私の胸がモヤっとする。

 

人間とは何故こんなに息苦しい生き物なのか

どこかの神様が我々の肉体のことを"魂の入れ物"の様な表現をしていたような気がするが、その通りであると思う。

 

愛さないと愛されない?本当に?

例えばビジネスの世界では、どれだけ利益が出るかを考えるはずである、原価を少なくして、利益を得る。 これは王道のやり方であると思う。

なのに恋愛ときたら、先にこちらが与えなければいけないらしい、リターンが期待できないかもしれないのに、だ。

 

分からない、この感覚。

 

先手を打って投資をする、という感覚なのかもしれない。しかし、投資はある程度傾向があるはずであるし、どんな状況でも前例で自分なりに予測を立てられるはずである。

 

人間も強者になってくると予測出来るのかもしれない、それでもやはり大きな賭けになるはずである。

 

やはりその大きな賭けに自ら飛び込んで「愛」

を投資出来るというのは、皆相当強いメンタルを持っているのだな、と感心してしまう。

 

愛さなければ愛されない、窮屈な生き物である。

愛されたら愛したい、損はしたくない、本来ならそういう考えになっていくはずが、変な知性があるからか、先に愛を与えなければいけない世界。

 

愛さなくたって愛してほしい、そういうワガママすら愛して欲しい。

 

書いてて、自分でも「だから愛されないんだぞ」とツッコミを入れたくなる内容である。

 

でももっと、本能のままの気持ちだって美しいという価値観が広まらないだろうか、と自分本位なことをブツブツ考えている。

綺麗なだけじゃないだろ人類、もっと全てに素直に生きようぜ。

 

素直に生きている我々にバンザイ。

やっぱり素敵な恋愛なんてクソ喰らえである。